kiviak-minamiの日記

少しずつ、ことばを紡ぎだす訓練になればなあ。

日本酒のこと

 ゴールデンウィークは大半を関西で過ごしたが、休日の最後の一日は三軒茶屋「赤鬼」へ行き、日本酒をいただいてきた。今の住まいから三軒茶屋はやや遠く、いかに名店とはいえ一人では中々行かれない。数年前からお世話になっている日本酒のお好きな先生と、同行を数名募って行くのが常である。

 先生と日本酒を飲むようになったのは、確か二年前のホーム・パーティにお招き頂いた時だったと思う。「十四代が好き」というリクエストに対して、もちろんわたしの伝手では定価入手は難しかったものだから、別のものをそれなりに見繕って持って行った。それ以来、何かと声をかけていただくたび、日本酒のオススメを紹介するようになった。

 

  「赤鬼」では、「十四代」プライベートストックからはじまり、めいめいに好きな酒を頼みつつ、気になるものはお互いに味見させてもらうような飲み方をする。お互いに味見をしあうわけなので、それぞれの舌にかないつつ、めいめいの好みからはさほど外れない、そういったものを選んで注文する。

 ここのところ、正直なところ、軽やかでフルーティな香りが売りの日本酒で、自信を持って推せるもののストックが尽きつつあった。鳳凰美田、くどき上手、赤鬼には置いてないものだと、三十六人衆、東洋美人、、そういうタイプのもの。

 わたしは、もう少し他の日本酒を頼むこともしばしばある。「赤鬼」だと、手取川、雨後の月、他の店だったら、銀盤、秋鹿……どれもいわゆる「十四代」的味わいと違う味わいなので、やはり、同行の方々の好みにそぐわないことが多い。「米の味わいが強い」「パンチが効いている」そんな評価を聞いた時、わたしはその酒の選択を、失敗した、と思う。少なくとも、ともに楽しむにしては。一人で飲むためのものではないのだから。

 

 わたしにとって問題なのは、自分の舌にはその酒が美味しいと思われることでもないし、同行の方々にとってその酒が美味しく感じられないことでもない。美味しいと思われるものが人によって異なるのは当たり前のことだろう。

 わたしにとって、例えば手取川十四代は、全く違う酒だ。しかし、大きく違うものとは思われない。上品に仕上がった吟醸酒で、雑味のなく、軽やかでフルーティな吟醸香が楽しめ、味わいの深みもある……。それでも、たとえばわたしの先生にとって、両者は似て非なるものどころか、似ても似つかないものなのだった。

 わたしにはその似て非なる違いが本質的だと感じとることができていない。おそらく違うことは推測しうる。ブラインドで試したところで、まず外さないだろう。それでも私はきっと、両者の差がほんとうにはわかっていないのだ。だからこそ、他の方の好みを承知していながら、それに準じないものを勧めて(というよりは、試してみるよう提案して)しまうのだろうかな、と思う。

 わたしは先生方の本質的に好む味の要素を受け取れていないのだろうか。それとも、先生方の好みに根底から反する味の要素をつかみ損ねているのだろうか。何かは知らないが、そこに何らかのはっきりとした違いがあるのだろう、そのはずなのに、それが言葉にならない、区別がままならない、、というのが、どこか心に引っかかっている。

 

 今日もまた日本酒が美味い。純米ドラゴン。